ナイーヴな数学者のブログ

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zoom RSS 241.一月ほど前、SIAM News の古い号を整理しているときに、WANTED と掲げて、西部劇

<<   作成日時 : 2016/06/11 17:21   >>

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一月ほど前、SIAM News の古い号を整理しているときに、WANTED と掲げて、西部劇の懸賞金付き手配書の体裁の、絶版となった数学文献の復刻版広告のチラシに気づいた。脇に、逮捕済みというか、最近のリプリントの文献名がいくつか印刷されており、その中に、

       Pierre Grisvard: Elliptic Problems in Nonsmooth Domains
                 Classics in Applied Mathematics
                 SIAM 2011
                 ISBN 978-1-611972-02-3

があった。これは、かつて赤表紙の Pitman Lecture Series に入っていたもので、以前の勤務先の最終講義で引用したような記憶があったが、今回、確かめてみたら、なかった。では、関連稿だったかと思ったが、これには文献表がない。10年も手付かずだと、記憶は当てにならないものである。

しかし、ともかく、Pitman のものの第1章だけはコピーを取っていて、手元に残っている。あのときは、他人が借り出していたものを一日だけ見せてもらって最小限のコピーを取っただけだから、全体を丁寧に眺めたわけではなかった。著者の仕事は、著者が本書の方面に集中する前のものを利用したことがあり、生前に一回か二回は会っているのかもしれない。とにかく、第1章では、多角形領域上のソボレフ空間という数学的対象が丁寧に論じられているので、ありがたい書物であった。というわけで、SIAM のリプリントをさっそく注文したところ、ようやく到着した。とにかく、10年も手を付けていなかったことであり、知識の水準として今どうなっているのかは不明だが、まあ、老後の趣味として、のろのろと考察を続けていく際の材料の一部が手に入ったわけではある。目論見というか、示すべきだと考えていることはあるのだが、果たして、生きているうちに目途が立つものかどうか、それが怪しいのなら、目論見の意味を丁寧に説明できるようにしておかなければならないが、それも簡単なことではない。

研究がどうこうとか、まして、功名心など一欠けらもないのだが、それでも、211回記事の付記で触れたようなことはしていて、この付記との関係で言えば、2進展開の枠内だけで(「集合論的な操作だけで」という注釈ないし説明が要る ー 再帰的な操作は、もちろん、そもそもの2進展開が再帰的な場合にのみ可能であるが ー )加法を定義できることがようやく確かめられたような気がし 、そうすると、そこまでのストーリーを英文にして、知人の意見を聞いてみたくもなる。しかし、この程度のことに2年も掛かるのである。その上、乗法については全く見通しも立っていない。

その一方で、勤務先の中学生たちの世話に若干深入りをしなければならない事情が起き、さらに、そのうちのごく一部対象ではあるが、夏休みの課題である「卒論」の世話も引き受けている。特に、数学パズルをテーマにして準備したいという生徒に、資料として提供した本のサンプル例のプログラムのコードが、オープン・ソースのソフトで記述されることもあり、乱暴な話だが、そういうソフトをダウンロードして身につけながら、自分なりのプログラムを書いてみたら、と勧めたので、そういうソフトの一例として、わたくし自身 Ruby をダウンロードした。そこまではよかったのだが、(多分、不必要な操作である)パスを手動で書き込むときに、TeX のパスを壊してしまい、それからが四苦八苦である。TeX を一旦削除して、TeX Live 2016 を取り込もうとしているのだが、厖大に時間が掛かり、二時間くらい経ったところでエラーメッセージが出てしまい、いずれ改めてやりなおさなければならないにしても、気力が落ちる。今朝は、勤務先の(別の)PC(Windows 10)で導入を試みているが、3時間半経ったところで、ようやく4割強である(今、impatient というファイルが導入された。inconsolate というのもある)。これでは、なかなか帰宅できない[なお、1892 ファイル media9 までインストールしたところで、エラー・メッセージが出て、失敗。帰宅はできるが、この4時間半は何だったのだろう]。


ところで、昨日は、勤務先の系列の医学科一年生の授業科目「医療倫理学・地域医療学」の担当分の授業をしてきた。ことしの学生には、勤務先の卒業生が何人かおり、面接の「練習」相手をした者もいた。授業と言っても、ばたばたと作った ppt ファイルを映しながら、おしゃべりをしただけだが、その際、ppt の出力稿のほかに、別に、(特に、勤務先を通じての経験などから覚えた)私見「浅ましき素人のおぞましさについて」を配布した。以下に、その配布資料の主要部分を再録する:

*****************

ともかく、わたくしの勤務先はご承知の通り、医学科進学率が高い。しかも、医学科進学率は、今日、進学校のベンチマークと化している。一体いつごろかこういうことになったのかはわからないが、1970年代の半ばころに、首都圏の某旧帝大病院系の医師が医学科ブームをいぶかしんでいた記憶があるから、その頃からとして、間もなく半世紀になるようである。いずれにせよ、現勤務先の評判は高くなり、校長というのはサービス業でもあるから、わたくしは医学科受験希望の生徒たちを相手に面接練習と称して、志望理由や医業従事のための覚悟や医師としての抱負を聞くようにしている。効果のほどは余りはっきりしないのだが、少なくとも合格の報告に来た生徒たちからは、無駄でしたとは言われていない。

ところで、患者としての視点からは、ありがたいことだが、医師というのは大変ご苦労な職業だと思っている。加齢の上に不摂生もあって、わたくし自身自宅近くの診療所の定期的な訪問が欠かせないが、そこの先生が患者とともに年老いていくのを見ていると身につまされる。医師も健康管理に留意しなければならないし、実際、医師に万一のことがあったら、大変なのである。患者、診療所の職員、薬局すべてに影響が及ぶ。誰でも健康なうちは病院に近づきもしないが、年をとって、いざ、病院にかかるようになると、それは直すためではなく、病気と上手に折り合いをつけるためだということがわかってくる。ただ、いつでも患者と医師との間に、このような了解がなりたつわけでもなく、かくて、先生に老人医療って楽しいですかと問いかけると、わたくしが相手だからということではないとは思うが、楽しいわけはないじゃないですか、という答えが返って来ることになるのだろう。受付の職員とこんな話をすると、そうですよね、子どもとちがってよくなるわけじゃないですもんね、というわけでもある。

もちろん、老人医療が無駄だと言っているわけではなく、ある種の「程のよさ」が欠かせないだろうと言っているだけなので、実際、若く健康な皆さんには到底実感の湧く話ではないとは思う。しかし、誰しも、ある程度年齢が行ったら、いつ死んでもおかしくないと思うべきではないか、と言うことはできないだろうか。ただし、自殺を勧めるわけではない。超高齢者の場合、衰えが進んだ暁に、仮に、最先端の高度医療によって、改善や延命を図ることができるという機会に恵まれたとしても、医師がそれを提案し、あるいは、当人がそれを求めるということが、果たして正しいことなのか、と言っているつもりだが…。

さて、皆さんは医師の需給推計なるものがあり、中位推計で2024年頃、上位推計で2033年頃、下位推計に至っては2018年頃に、臨床医の需給が均衡するとされていることを耳にされたことがあるかもしれない。詳しいことは、厚生労働省の「医師需給分科会」のサイト掲載の情報にあるが、もちろん、推計にあたっては、いろいろな仮定が置かれているので、推計のように推移していくことになるかどうかは何とも言えない。その一方で、診療科や地域による需給のばらつきも大きいようなので、一喜一憂して浮足立つようなことではないだろう。だが、皆さんが医師免許を浪人せずに取得しなければならないという状況にあることは明らかで、勉学には一層お励みいただきたい。

ところで、上掲の推計であるが、医療技術や創薬における医療のブレーク・スルーについては読み込んでいるようでもない。もっぱら現在の医療者の状態を外挿した上での推計のようである。ブレーク・スルーがあると、医療需要が高まるかもしれない。あるいは、医療者の世代交代が予想以上の速さで進行することになってしまうかもしれない。こう考えると、(下位推計では、もはや間に合わないとは言え)皆さんには大きな機会があるので、現在の「常識」に基づいた「推計」に反応してじたばたするのは間違っているだろう。

そこで、どんな方面にブレーク・スルーがありうるか、それこそ素人の浅ましさを十全に発揮して想像してみよう。もちろん、ブレーク・スルーはセレンディピティとも紙一重で予測が付くものばかりとは言えないが、一方、明確に現状を変えようという意志が働くことでもある。

例えば、皆さんは computer surgery について聞いたことがあると思う。わたくしは、昨年のアメリカ応用数学会の会報で見たので、ネット検索で関連記事は見つかるのではないだろうか。(素人ゆえ的確な説明はできないが)例えば、内臓の手術の際に、スキャンによって構成した局部の詳細なコンピュータ画像に基づいた病理シミュレーションに従っての施術というもので、侵襲性も抑制され、術後効果の高いものであると聞いている。ただし、これは手術支援装置であって、以下で妄想するような、精緻な生理学的な人体の動的モデルを構想してのものではない ー そのようなものが開発された暁には、医療現場のハード的な装置はコモディティー化するだろうという含みもあるように思われたのである。いや、電子顕微鏡を利用している立場からは、到底、そこまではできませんよ、と、この授業のお世話をされている先生はおっしゃるかもしれない。まあ、卑怯なようであるが、電顕ほどの解像度は要求されていないのではないかと想像している素人の浅ましさもあり、また、高解像度が不可欠な手術については将来の話でもいいのである。意図は違うかもしれないが、可能性を秘めたものは今の日本にもあるので、例えば、「サイアメント」などの企業の活動も挙げられるのではないか。

考えてみれば、リアルタイムのものも含め、スキャン画像は診療に多用されている。だが、実際にスキャンをするのは厄介な装置も必要で大変である。患者一人ひとりのダイナミック立体コンピュータ・コピーというようなものを作ることができないだろうか。個人別が望ましいが、とりあえずは、類型別でもよい。いったん基礎モデルのコピーをコンピュータ内に作ったら、あとは、定期的なデータ補正で、一定期間については、患者の体調の推定ができるようにするのである。神経系や血管系、リンパ系の全体像を立体模型にしたものを見たことがあるが、あのような立体モデルで、しかも、動的なものの「仕様書」 ― 以下では、「基本数値人体生理モデル」と言おう ― をコンピュータによって、かつ、実際の個人の検査に基づいて、作るのである。

このためには、まず、基礎的な理論モデルの開発が前提になる。この話は人造人間やクローンまがいのものを作ることではなく、また、再生医療とも違うところがある。ロボットを作ることでもない。また、画像化に主眼を置くわけでもない。まず、実際の人間について医療上意味のある「基礎モデル」(コンピュータ内の「仕様書」としての「基本数値人体生理モデル」)を作ろうというので、こういったものができれば、それを利用することにより、内科的診療から、外科的手術に至るまで、相当に精度の高い医療が可能になるのではないだろうか。

大事なことは、人間の立体コピーをスキャンによって作ることとは違って、「基本数値人体生理モデル」は生理学的な意味を持つものであって、つまり、特定の患者についてリアルな検査データを与えると少なくとも数時間から数日間程度の期間に実際に患者の体内で生起する生理現象の大略についての近似シミュレーションを実現するというようなものを作ることである。このためには、人体の生理学的な構造について、総合的、かつ、動的な確認が不可欠で、対応する理論モデルの構築が並行する。さらに、それらのうちから、解像度の指定というか、立体生理モデルとして、医療用に意味のあるものを適切に選び出すことが重要だろう。もし、こういうものが開発され、概括的にせよ、医療現場での実用に供されるようになったら、一体どういうことになるのか想像してほしい。

すでに、この方面の研究が進行していておかしくはないと思うが、どうだろうか。特許取得によって、膨大な収入も得られるだろう。一方、一般の医療者は多大の特許料を負担しなければならないことになろう。小手試しに、人体の血管系のコンピュータ・モデル(の「仕様書」)をしかるべき詳細さで作り、心臓の鼓動による血圧の変化の伝播を確認する、というようなことは、今でもできるのではないか、あるいは、すでに、なされていて販売されているのかもしれないが、その場合でも、自分で試みておくことは重要である。素人には全く見当がつかないこととは言え、専門家サイドからのfeasibility の評価は期待したいものである。基礎的な物理モデルが出来上がっても、心臓や血管の構造、血液の量、成分、温度、さらには、各種のイオンによる制御効果の組み入れなど、生理モデルとして多少とも意味があるようなものにまで、次々と進化させていかなければならないだろう。

開発は医学者や生理学者、生命科学者が主導することになるのか、物理学者や数学者、情報科学者が中心になるのかはわからないが、とにかく、関係するあらゆる知識技能の動員と深化が不可欠だろう。人工知能は当然の前提になる。医療は、リアルな人間に関わるものであるから、特に、臨床の場合、この手のソフト情報だけではもちろん不足であるが、しかし、ソフト情報は、診断の精度を上げ、治療における外科的あるいは内科的手段選択の適切性を高める効果は期待できるのではないか。

加えて、医療技術の開発や新薬の開発においても「基本数値人体生理モデル」は、生化学的、物理化学的な成果や、(現在の知見で言えば)iPS細胞などの生命科学的手段と共に、あるいは、治験の過程において、本質的な役割を果たすことができるはずである。

「基本数値人体生理モデル」など夢みたいな話だと皆さんは思うかもしれない。しかし、わたくしの知っている分野での、日本と海外、特に、米国との知識・技術の開発姿勢の相違を思い起こすと、最初の着想が日本側にあっても、その着想の意義を大きな文脈で理解しようとする姿勢を欠いていたために、着想の基本構造を整理できず、結局は、海外で開発された形の基本特許に包括されてしまうというのが通例であったと言ってよい。これは着想の現場というよりも、着想の背中を押すべきマネージメントの質(視野、想像力、洞察力、覚悟)の問題ではあるのだが…。

「基本数値人体生理モデル」のようなものは、医療技術から医療体制に至るまで、およそ将来の医療にかかわることのすべてを変えてしまう可能性があり、そのようなものの開発を日本が主導できるか、少なくとも、開発者の一端に加われるかどうかは、もちろん、今後の日本の医療の在り方に大きな影響を及ぼすはずである。もちろん、趣旨から言えば、商業的利益を追求するわけにはいかないから、WHOなどの国際機関が開発を主導し、監理すべきだろう ― 台湾もパレスティナもWHOには認知されていないが ―。日本が feasibility を確認した上、ある程度めどが立ったら、WHOに提案するというのが日本にとって一番よいように思われる。

しかし、問題は開発コストであり、また、実用化された際の代価である。すでに、新薬や新ワクチンには超高額のものもあり、そういう薬の処方によっては、一般の医療にかかる経費が細ってしまうという話を聞いたことがある。特に、現行の我が国の健康保険制度のままだと、超高額の新薬が保健医療の対象になることは、ただでさえ困難な国家財政の破綻を加速してしまうという予測があると聞くと、医療技術や新薬の開発が一体人類、少なくとも日本人、の幸福に貢献することになるのか疑問さえ覚えるほどである。

近未来の医療技術の中には、適用すれば、効果は極めて顕著であるが、しかし、その時点での医療資源のかなりの部分を動員してしまうというものも生ずるかもしれない。医療資源は無尽蔵ではないのである。超富裕層の人間の欲求に、単純に従うことは、その他大勢の「健全な社会」の担い手に向けられるはずの医療資源を蕩尽することにもなりかねない事態も予想されよう。公平・公正な医療とはどんなものなのか。あるいは、医療は公平・公正でなければならないか。もしそうだとしたら、それはなぜなのか。そもそも医療とはどういう営みなのか。医療の価値というものはどこにあるのか。政治的にも倫理的にも大変な難問であるが、結局、社会的に、病気とどう折り合いをつけるかということを真剣に考えなければならないのではないだろうか。現場の医療者は、こういうことを考えなくてもいい、というわけではない。

心配しだすときりがないとはいえ、進歩とか開発とかいうことが医療資源の配分に偏りを起こし、したがって、必ずしも無条件の善を意味しないとなると、医療そのもののあり方についても根本からの問い直しがなされるべき時期になっているのではないだろうか。そして、実は、今、問われているのは、人間の「生き方」ではなく、むしろ、「死に方」なので はないだろうか。人間は死ぬものである、ということが、生きるということの大前提である。では、人間はどう死ぬべきなのか。

*****************

というわけで、この稿は、尻切れトンボである。悲運な死、不本意な死というものも避けられないことではあるが、しかし、実は、そういう死もあるからこそ、つまり、死に方は選べないのが本来の原則だからこそ、なお、生には価値があるのではないだろうか。社会生活が変貌し、医療技術や医学が進化し、人間の死に方の選択肢が減って(あるいは、極端に二分化)しまったことによって、われわれは「生きる」ということを深刻に考えなくなってきているかもしれないのである。

付記(平成28年6月12日): TeX Live 2016 は、四苦八苦はしたが、無事にインストールできた。

付記2(平成28年11月23日(水)):上掲の医学科授業の稿には、少し前の國頭英夫氏のネット記事や関連報道が反映している。國頭氏の近著に、医療面での問題提起が展開されている。別項で論じてみたいとは思うが、ここでは書名のみ挙げる:

       里見清一:医師とはどういう職業か
              幻冬舎新書 (幻冬舎 2016)
              ISBN 978-4-344-98429-5 C0295

       里見清一:医学の勝利が国家を滅ぼす
              新潮新書 (新潮社 2016)
              ISBN 978-4-10-610694-1 C0247


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