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zoom RSS 247.所詮、人間は党派性を払拭できないものとは知りながら、それを超えた衝撃を受けるということはあり

<<   作成日時 : 2016/09/07 21:52   >>

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所詮、人間は党派性を払拭できないものとは知りながら、それを超えた衝撃を受けるということはありうる ― もちろん、事実が、しかも、正しく、眼前にあるとしてだが。

さて、党派性の強さが否めないような、そういう人の推薦の惹句が帯に付いている書物についての書評記事をネット上の何かのコラムで見た。ほんの数日前のことだが、その記事がどこにあったのかは思い出せないが、紹介記事が余りにも衝撃的で、とにかく見ておこうと思った。それが、

       パンジ:告発
            かざひの文庫 2016
            ISBN978-4-88469-878-2

である。

妙な話だが、天神のデパートで昼飯にそばを食い、同じデパートの別棟の最上階の本屋に立ち寄って検索をしたら、在庫なし、要取寄せ注文とのことであった。この類のことで不用意に(どこかの)名簿に載りたいわけではないから、ここはスルーして、ジュンク堂まで行ったら、あった。 というわけで、購入し、読了した次第だが、それを記事化する(、つまり、逃げも隠れもできない)という支離滅裂な行為をするわけである。

もちろん、党派性云々には、意味はあるのだが、上記の本は原文は朝鮮語であって、訳者として名前を出している人への、ある種の信用も、実は、本書を手に取る上で大事なことであったことは言っておかなければならない。

そこで、コメントであるが、今から二十年余り前の「朝鮮人民民主共和国」の、何というか、日常を描いた短編の集積であるというのが基本であろうか。「北朝鮮」のことだから、と思うと、大間違いと言えるほどの、人間の「情けない」「本性」に関わるものであると言うべきかもしれない。紹介されている短編の小説は、いずれも1990年代の初頭に書かれたもののようであり、四半世紀近く経った今日、背景事情がどれほど変わっているかはわからない。

そういう留保はあるのだが、ともかく、目次を示そう。それぞれが哀しい短編小説である。

        推薦の辞 都希命
       脱北記
       幽霊の都市
       駿馬の一生
       目と鼻が万里
       伏魔殿
       舞台
       赤いキノコ
        あとがき(韓国側出版社代表)
        あとがき(訳者)

となっている。

舞台が舞台なので、強い党派性のもとで読むこともできるだろうが、実は、そういう読み方は間違っている、少なくとも浅い、と思う。

人間が嫉妬や恐怖、脅迫にいかに弱いものであるか、そして、そこに妙な理想主義が入り込むと、いかに愚かになれるのか、ということが書かれているのである。嫉妬を基準に社会を構築することはできないわけではない。そして、とんでもなく、おぞましい社会がそこに成立し、成員の誰一人もが(「首領」から末端の「庶民」まで)物理的にも精神的にも自由にはなれないということになる。こう考えると、これは舞台となった昨日の北朝鮮に限られる話ではない ― まあ、これほどの体制の例は歴史的にも稀ではあろうが。

自由というものを何らかの理由で知ってしまうと、そして、そのことは人間の本性上避けがたいことではあるが、そうなると、このおぞましい社会では排除されるべき存在ということになる。嫉妬と恐怖の歪んだ効果とも言うべきであろうか。しかし、それがほぼ四半世紀前の北朝鮮では、間違いのない現実であったらしい。

パンジは短編において何らの救いを提供しない。提供しようがない。もちろん、読者もどうしようもない。パンジの描いた世界は、四半世紀前の北朝鮮らしいが、今は、どのくらい変わっているのだろうか。

以上の短編の中で、「駿馬の一生」というのが特に哀しい。善良で働き者の正直な人間が自分の人生が全く虚しいものであったと知った時の絶望感の深さは想像の埒外である。しかも、かれは実体のある人生を過ごしてきたはずだった、しかし、そのすべてが騙されていたのだ、自分の大事な人生を、自分として主体的に過ごしてきたつもりだったが、それは真の評価の対象ではなかった、この過酷な人生は何だったのだ、人生の象徴としての欅の木は切り倒され、その枝を炊いたオンドルのもとで、心臓麻痺で死んでしまうというのは、まあ、論理的にはそうならざるを得ない話ではある。救いがあるとは到底言うことはできないが、まあ、作法通りかも知れない。しかし、かれは「日帝」からの「解放」の際の歓喜を実感をもって思い起こすことができたという人たちに属すのである。

いずれにせよ、この本で紹介されている話は、ほぼ四半世紀前の北朝鮮のこととされている。政治的にも経済的にも事態が改善されてきたとは思われないものの、軍事技術や情報技術では突出した成果もあるらしい国ではある。技術者は薄氷の想いで開発研究に勤しんでいるのであろうか。所期の成果が挙がらなかった ― すなわち、反国家的、反「首領」的となるのだろうか。それでも、かれらは「駿馬の一生」の主人公と違って、「日帝」からの「解放」の際にあったとされる昂揚感・一体感を知らない。かれらのような技術者の受けるであろう欺瞞感は、生涯の終わりの頃まで沈潜しているものだろうか。








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