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zoom RSS 254.現在の勤務先の高校卒業式は3月1日だが、なかなか、式辞がまとまらなかった。ついに2月28日に

<<   作成日時 : 2017/02/28 15:36   >>

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現在の勤務先の高校卒業式は3月1日だが、なかなか、式辞がまとまらなかった。ついに2月28日になってしまった。ややインチキなブログ記事をアップする次第。

卒業式では、さらに、モーニングを着用すべきかどうかの判断も悩みの種である。わたくしにとっては、最後の卒業式であるが、平成も間もなく30年、今上陛下も譲位を望まれる時代である。われわれが庶民の式典においてモーニングを纏う時代はとうに終わっていたのではないかと考えれば、略礼服にすべきであり、一方、今までモーニングで通してきたのだから略礼服にすると、特に、卒業生保護者が戸惑うのではないかと考えれば、説明が要るようにも思われ、どっちにしても煩わしいのである。これは当日の朝に決めよう。

式辞の難しさは、前回の記事でも触れたように、トランプ氏の言動をどう扱うかが決められなかったからだが、何とか、今までの式辞類の主張の趣旨に近い原稿を作ることができた。詳細に興味のある向きは、卒業式の後で、勤務先のHPに貼り付けられる式辞まで、お待ちいただきたい。とにかく大分苦労したが、「文明」「文化」の意味をしかるべく限定した上で、

       現状=「文化」と「文明」の不調和:
          「文明」の一体化・一様化・単調化の進行
          「文化」の個別性の喪失危機

と捉え、「文化」側からの「過去への回顧」に伴う「反動」として説明することにし、しかし、この不調和に対しては、「未来への展望」という形で対策を探るべきだというような趣旨で、式辞を作った。しかし、出来は余りいいとは言えない。丁寧に説明するだけの時間もないし、また、それが適当とも思われない場所でもある。

「文明」は基本的に「論理」あるいは「機能」に関わり、「文化」は「感性」あるいは「情緒」に基づくとした。「文明」が、今日、一体化しつつあるのは異論がないだろうが、それに引きずられて「文化」が一様化していることは必ずしも否定的に受け取られてはいないだろう。特に、英語教育の推進などの様子を見ると、日本では、当然視されているかもしれない。そして、もちろん英米では歓迎していたはずである。ところが、ブレグジットにせよトランプ大統領にせよ、ポピュリズム以前に、「文化」の個別性を希薄化して英米型に収束させようとしたところで「人間」の移転が起きてしまい、それに対する「反動」であったと説明してみようということである。シリア難民やアラブ・テロリズムは、これも淵源を探れば、昔からの英米の軍事外交政策に遡るのではあるが、「文明」との対比で言えば、それこそ「過去への回顧」に属し、一体化しつつある「文明」の現状での英米の混乱の説明にはそぐわないと考える(実際、ブレグジットには、シリア難民は全く関係がなかった。EUの人的移動の自由が、なぜ、イギリス行きという結果になったのか、が問題である)。

実は、式辞を準備している折に、確か、天神のジュンク堂で

       木村凌二:「教養としての世界史の読み方」
              PHP 2017
              ISBN978-4-569-83194-7

を見つけ、ざっと目を通してみた。

式辞に直接反映した個所はなかったが、ローマ史は広大な「外部」がある世界での「文明」において圧倒的な優位性のある「文化」を中心に展開されていると理解できるので、今日のように、基本的に「外部」がなくなってしまった「文明」環境下での複数の「文化」の挙動を問題にしたいという態度は、構造において、根本的に違うように思われた。ただし、木村氏の書物が、式辞において全く参考にならなかったわけではない。

なお、木村氏の書物では、最終章の中国に関するいくつかの節が示唆に富む。

「中華民族」がどうこうというのではなく、語族としては、現代北京語に近いとされながらも、相互理解が容易ではないほどに分かれてしまっている言語話者である多数の(漢族の支族)が、漢族としての一体感を持っていたのは漢字と漢文があったからだというところである(つまり、かれらは基本的に音声では意思疎通が図れなかった)。このことはよく知られているのだが、ここを、いわば、未来への展望として捉えようとするならば、とりあえず、「一般化された中華民族」の定義を「漢字使用による意思疎通が可能な人間集団」としてみると、日本人は今でもそういう要素があり、また、かつての朝鮮や越南もそうであった。明治期の日本に、清や朝鮮、越南からの留学生が多かったのは、皆「一般化された中華民族」だったからであろう。ただ、漢字使用・漢文使用による意思の疎通では緻密な議論はできなかったこと、そして、今日でも、中華人民共和国政府などにみられる語法は「四字熟語」的であって感情に訴えるのには適しているが、緻密ではなく論理性も十分ではないが、それゆえ「食言」とは縁遠い ― つまり、漢字使用の場合、意味・内容の時間経過に対する不変性は担保されてはいないのである。

だが、漢字を「情報を載せた記号」と把握した上で、今日の種々のプレゼンテーション・ソフトの使い方を見てみると、本質的な点で、共通性があるのではないか、と思われてきた。してみると、リンガ・フランカ(つまり、英語)に基づかなくても、記号型表現媒体を通じて、「一般化された中華民族」ならぬ「世界民族」という発想も成り立つかもしれないということになる。だが、その後に、価値観の単調な一様化された世界「文化」が生ずるとすれば、それは、わたくしが好ましいと考える「文化」の在り方とは違う。

ちなみに、式辞がなかなか準備できなかったものだから、結構、いろいろな本に目を通した。

       中室牧子・津川友介:「原因と結果」の経済学―データから真実を見抜く思考法
                    ダイヤモンド社 2016
                    ISBN978-4-478-03947-2

中室氏は「学力の経済学」の著者でもある。

変わったところでは(児童書らしいが)

       藤本ひとみ:桜坂は罪をかかえる
               講談社 2016
               ISBN978-4-06-220268-8

これは、函館にカタリ派の「修道院」があるとしての少年たちの冒険談だが、4月初めに函館で桜が咲くものかどうか、それが疑問。

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