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zoom RSS 259.暇になったらブログ更新が頻繁になる(できる)かと思ったら、そうもいかない。生活が不規則になっ

<<   作成日時 : 2017/06/06 11:49   >>

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'暇になったらブログ更新が頻繁になる(できる)かと思ったら、そうも行かない。生活が不規則になっただけで、つい二箇月前まで、よくまあ毎朝5時に起きて、薬院駅6時39分の急行に乗って、…という生活ができたものだと、遠い昔の夢のようである。まあ、もう少しで、退任後75日、すべては忘却の淵に沈むはずである。

ところで、その想いと矛盾するようだが、在任中の式辞類を集めて、それに前説を付けたパンフレットを用意して、退任時を中心にしかるべき人たちに配布した。A4版のレポート形式で、Kinko's で製本したものだが、製本時期に応じたいくつかの版ができてしまった。これを書籍化したいと思い、地方の私立学校の話が大半を占めざるを得ないこともあり、福岡の出版社に当ってみた。自費出版は覚悟の上だったが、比較的好条件で応じてくださるところがあり、9月ごろをめどに刊行を目指すことになった(した)。もともとのパンフレット稿は、LaTexの(jsreport)で草してあったが、それを(A5 の jsbook で)コンパイルし直して A5版形に改めたものを見せながら話をしたのだが、TeX 稿では対応できないということなので、ワードに整理しなおした。これをもとに、編集ということになるのだが、結構な作業になりそうである。もともと葬式の時に配ってもよさそうなものではあるが、近々の予定というわけではないつもりだし、いかにささやかな人生とは言え、前勤務先在任中の九年間がすべてというわけではない(と思っている)。賞味期限というか、鮮度もあるのだから、まあ、今の時期がよかろうというわけである。

この九年間、特に、卒業式の式辞で高踏的なことを発信しようと心掛けて来たことはずいぶん勉強になった。疑う人もいるだろうが、まあ、本人はそう思っているのである。特に、最後の式辞の準備には苦労していることは253回記事に書いてあるが、実は、トランプ氏の登場によって、わたくしが長年思っていたことの図式の意味が非常にわかりやすくなった感がある ― 残念ながら、世に多いトランプ現象の解説はこの図式のものではないが ー。当ブログのテーマ(プロフィール参照)にもつながると言うよりも、まさしく、その意識がなければ思いつかなかっただろう( ― 認知症疑いの老人の痴呆的妄想?)。

要点の1は、「文明」と「文化」の(疑似)双対性である。俗な表現にも意義はあるわけで、「文明の利器」とは言うが、「文化の利器」とは言わない。もっとも「文化包丁」というのが昔あったが、これは名工の工芸品級の作品を指しているわけではないが、ある種の万能性・汎用性を「文化」という語で表そうとしたのだろう。したがって、「文明」と「文化」の(疑似)双対性を言うには、「文明」と「文化」とを(日常的な語感を先鋭・純粋化する方向で)定義しなおした上で、その「定義」に従っての議論をしなければならない。

ざっと言えば、「文明」は、人間の世界のうち、機能や、それを支える技術の側面に基づくものである。移動、交換、あるいは情報や知識の流通・伝達の技術に「文明」の典型的な性格があり、個別的な感情よりも機能性の向上や効率が重視され、関係する技術開発もその方向に進んで来た。移動や運搬の手段でも、徒歩や携帯による場合は人間的基準そのもので行われるが、馬、車、船、さらに、鉄道、航空機と効率が高まり、情報処理も会話や手紙から、電信・電話、大容量高速電子計算機、そして、AIと、人間的スケールを凌駕してきた。現代の「文明」はディジタルの世界に象徴され、「文明」の観点からは今日の人間社会は、ほぼ、一様化しつつあると言えるだろう。つまり、地上は、基本的に単一の「文明」のもとに(収束しつつ)あると言えるだろう。これは、しかし、後述するが、いわゆるグローバライザイションとは似て非なることである。

他方、「文化」は、人間の世界の、どちらかというと、生物としての側面からの把握、つまり、社会にせよ、行動にせよ、基本的に感性に基づいて捉えて、一人ひとりが具体的に感じることができる経験や情緒に基づいた世界認識あるいは人間環境を指すものである。したがって、ここで言う「文化」は、アナログ的というか個別性に特徴があって、社会的、歴史的なユニットというか成分 ― 典型的なのは国というユニット ― という区分けによく馴染むものである。われわれの日常の生活は、それぞれの成分固有の社会習慣のもとで、つまり、「文化」の上に成り立っており、特に、「文明」の具体化は、それぞれの「文化」を通じてなされなければならない。こうして、ただの利便性が快適性に変換されることになる。


さて、上掲の要点の2は、「文明」と「文化」の調和の破綻の顕在化と言えよう。「文明」は機能性・利便性であると言ったが、具体化は個々の「文化」を通じてなされ、しかも、「文化」によっての機能性・利便性の追求や関心の強さには違いがある。現行の「文明」の水準は、英米型、あるいは、やや広く、西欧型の「文化」の貢献による部分は大きい。そして、「文明」と「文化」の性格の違いが意識されないまま、「文明」の伝播が英米型あるいは西欧型「文化」の優位性のように思い込まれ、あちこちで、「文化」摩擦を起こしてきたことは、われわれも経験したことである。いわゆるグローバライゼイションは、「文明」と「文化」の混同に加えて、「文明」の(必然的な)一様化を英米型「文化」の優位性を当然視する主張の根拠とすることの上に成り立ってきた。しかし、「文明」と「文化」の(疑似)双対性を重視する立場からすれば、このようなグローバライゼイションそのものは、不自然なものである。そして、Brexit や Trump 現象の興味深いところは、英米型「文化」のコアというべきところに反乱の中心があったことである。

英米型「文化」の優位性の主張と「文明」の一様化の混同は、英米型「文化」と他「文化」の「落差」を小さくした。その結果、「文化」間の(を超えての)人間集団の移動が容易になった。しかし、人間集団はそれぞれの「文化」を纏っており、種々の形で「文化」衝突が起きやすくなる。経済的地位の変動も起きやすく、もともとの現地の「文化」が有利とは限らない。英米型「文化」は、他「文化」との接触に関してナイーヴであったから、Brexit や Trump 現象となったのである(と、まあ、わたくしは観たわけである)。シリア難民やISなどのテロ活動は、別の文脈に属する話であって、Brexit や Trump 現象とは(政治的な利用はあっても)本質的には無関係であろう。

なお、「文明」と「文化」との(疑似)双対性をつなぐものとして、「言語」の問題も忘れることができない。上掲のいわゆるグローバライゼイションは、英米語の世界共通語化を伴っている。「文明」と「文化」とを分けて考える立場からなら、英米語は利便性・機能性中心で利器であり、他方、それぞれの言語、日本語にせよ、タガログ語にせよ、ロシア語にせよ、人間が感性や個性を表すために大事にするものということになる。すると、やはり、ここでも本来の英米語の話者の間でストレスが高まっていくであろうことが予測されよう。かれらの「文化」語としての「英米語」と文明の利器としての疑似「英米語」の乖離が「文化」語の「英米語」の話者に与える違和感もあろうから。

「言語」と「文明」「文化」との関係では、記号使用 ー 漢字、絵文字、数学記号など ― の問題も興味深いと思われるが、これは別の機会にしたい。ただ、逸話的なことであるが、半世紀前にパリで講義を聞いた時、教授者は黒板に Soit f fn +ve と書きながら ソワエフユンヌフォンクシオンポジティヴと唱えたのが印象的で、+にフリガナ ve を付けて、ポシティヴと読むんだ、と思ったことがある。また、最近、フランスのある地方の観光事務所に問い合わせをしたら、一通りの返事が来て、さらに、 Si vous voulez + d'informations, contactez à … とあって、+を plus とも読むんだと思った次第。その他、携帯やスマホの普及に拠る言語表記の変貌も興味深い観察対象とは思うが・・・。

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