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zoom RSS 261.前回記事のお導きかもしれないが、天神のジュンク堂で 万城目学:パーマネント神喜劇

<<   作成日時 : 2017/07/26 14:14   >>

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前回記事のお導きかもしれないが、天神のジュンク堂で

       万城目学:パーマネント神喜劇
              新潮社 2017
              ISBN978-4-10-336012-4 C0093

を見つけた。「神」の世界では、まあ、下っ端の、しかし、専任の神社を1000年にわたって、縁結びの神として勤めて来た神様を巡るファンタジーである。具体的な神社の話ではないし、いろいろな要素が絡めてあって、地震で神社が倒壊し、この神様が依り代の木の折れた根元に閉じ込められてしまう事態さえ起きる。子どものある種の「信心」が、最終的には、神様をこの事態から救出するのであるが、さて、何と言ったらいいだろう。

実は、6月の後半からのほぼ一月、先般言及した校長時代の式辞類や覚書の類を書籍化することに関係する作業に掛かりっきりであった。当初、手元にあったもの(Kinko's 製本版)を、縦書きの四六判に単純に仕立て直すと(やや粗めの評価ながら)600ページになってしまう、いくら自費でと言っても、印刷代だけでお約束した金額を超えてしまう、それに注が多すぎないか、との指摘を受けて、いわば、編集作業に(まあ)没頭していたわけである。精査し、大分精選したつもりであるが、式辞類は儀礼的な部分を別にすれば原型をとどめておきたいというのが、そもそものポリシーであり、時候の挨拶はもともとないし、儀礼的な部分もそれぞれの式辞で数行を超えることはないのだから、これらを削ってもページ数がうんと減るというものではなかった。

本文と言うか、式辞類を記録しておくことが本命だとして、その背景説明としての拙見や暴論の展開部分は、かなり見直した。重複部分は、整理が効く限り、整理したつもりであるが、どれだけページ数の削減に貢献できたのやら。それでも、注を含めて、「本筋」とは余り関わることがなく、また、感情を籠めた私見の表明に近いものについては、かなり削ったつもりである。余計なことを書いて、他人を意味なく刺激する(ことがあるとしても、そういう可能性を敢えて追求しなければならないような)必要性はないのだから、よかったと言えるだろう。それに、何回も書き直しているうちに生じた種々のゴミに気づくこともできたが、どのくらい全体を縮められたのだろうか。ページ当りの行数や字数を調整したり、二段、三段に組む部分を増やしたり、という手立てをとったとして、全体のページ数を300ページ前後にできるのだろうか。

そして、索引である。Kinko's 版では、A4横書き2段に組んで、フォントも落として、15ページにわたったが、これを再現することはできない。被索引事項も減らし、参照箇所も減らした上で、どうなるか。

まあ、こう言った作業をした結果を先週本屋に渡したが、さて、どうなるか。

他にも、時間を食っている作業があって、京都の数学出版社との雑談の延長上のようなものではあるが、微積分の概説書を準備してみようかと思って始めたものである。時間ができたら挑戦しようと考えていたこと(一応、数学的な課題ではある)を脇に置き、また、日常的にも果たさなければならないことが多々あるのに、今更余分なことに手を出そうとするのは、余命を思うと適当ではない。それに、知らないこと、忘れてしまったことも山ほどあるのであるが。

しかし、動機となるヒントはいくつかあって、

       第一:北大時代に耳にした雨宮一郎先生の期末試験の問題:
           「微分積分を中学生にもわかるように説明せよ」、
       第二:(通常の)高校教科書にある微分積分学の基本定理の定式化への疑問、
       第三:(実は、順不同だが)Slepian の Shannon Lecture での言及
           ー連続性とか実数とか信じない!−、
       第四:通常の「微分」の定義に対する不審感、
       第五:微分積分学が日本に伝わってからの教科書の系譜、
       第六:(第二、第四とも関わるが)、高次元の微分積分学への目配り、
       第七:V.I.Arnol'd の Mathematical Trivium 第1問
       第八:Taylor-MacLaurin 展開にこだわるべきかどうか
       第九:多項式近似やフーリエ級数展開との関係
       第十:歴史的な発展の順序とどう付きあうか

などである。

第六に関して言えば、ルベーグ積分を論ずるだけではやや粗すぎることはわかっているが、かと言って、より適切そうなものを改めて勉強しなおす気になるかと問われれば、そういうことはないだろうとしか言えない。

第二、第五、第十も深く関わっていて、上では挙げなかったが、微分積分学の根底に横たわる世界認識に関わる思想性への関心が伝わったかという問いと密着している。第七に見るように、ロシアでは意識に残っているようで、近代の日本人が、この部分を欠落させて、微分積分学を受容してしまったとしたら、それはなぜか、という疑問にもつながる。

とは言え、わたくしは教養課程での授業経験は九大数理時代の1学期(建築学科の2年生向け)しかないから、腰を据えて微分積分学を調べたことがない(上記の授業については、当時の教養部紀要か何かに報文を発表したが、内容は、全く覚えていない。授業自体は、確か、グリーンの定理の紹介であったはずで、まさしく、2次元の「微積分学の基本定理」として扱ったような記憶がある)。

ともかく、そんなわけで、ジュンク堂に立ち寄ったときなど、微積分の教科書を眺めている。定評のあるもの、大学の学生向けと銘打ったものを除いての話だが、

       雨宮一郎:「微積分への道」(岩波書店)

は、上掲の第一に関連して敬意を払った後で(ただし、本書は大学初年級向けだろう)、いくつか眺めたが、

       畑村洋太郎:「直観でわかる微分積分」(岩波書店)

は参考にできる。感心したのは

       松野陽一郎:「なるほど!とわかる微分積分」(東京図書 2017)

である。非常にしっかりとした内容の本であり、畑村氏の書物ともども、上掲の第二、第四、第六には、それなりの目配りが効いていると言えるだろう。第十に関連しては、

       高瀬正仁:「微分積分学の誕生 デカルト「幾何学」からオイラー「無限解析序論」まで」
              (SB Creative 2015)

があった。微分積分学が実は世界認識の思想であるということにどのくらい触れているのか、と、思いつつ、著者に直接聞いた方が早いとは思ったが、しかし、技術としての微分積分学は、デカルトやオイラーの手を経なければ成り立ち得なかったことは確かである。そういう中で、

       T. W. Körner: Calculus for the Ambitious
                Cambridge University Press 2014
                ISBN 978-1-107-68674-8

を購入した。まだ、目を通したわけではないが、拾い読みした限りでは、完全に標準的とは言えないが、参考にはなる。特に、最終章(第11章)

       Paradise regained

が面白い。(第10章は Paradise Lost である)。微分積分学の基本定理は、その第5節で改めて論じられており、俗に言う「積分定数」の扱いから、「実数の基本公理」への言及がある。もちろん、こうなると到底「中学生」の手に負える話ではなくなるが。


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