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zoom RSS 253.勤務先での(わたくしにとって)最後の入試業務が終わり、これからの大事は卒業式の式辞類を用意す

<<   作成日時 : 2017/01/28 11:21   >>

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勤務先での(わたくしにとって)最後の入試業務が終わり、これからの大事は卒業式の式辞類を用意することだけに、まあ、なった。あと一箇月余りの猶予があるとは言え、今年のは、難題を抱えている。最後だからというのではない。トランプ大統領の言動を取り込むべきかどうか、取り込むときはどう取り込むべきか、その判断が絶望的に難しいのである。

高校の卒業式で(校長が)時事的な話題を取り上げることが直ちに問題になるとは考えてはいないが、取り上げ方は課題ではある。卒業生の諸君は、高校を卒業してから、順調に行って、4年後、あるいは6年後には社会に出る(少なくとも社会的には一人前に遇されることになるであろう)。かれらの本格的な人生は、そこから始まるのである。では、かれらの時代の日本や世界を、かれらはどのように仕切っていきたいのか、あるいは、仕切ることができるのか、彼らに対し、そういったことへ想いを向けて、まだまだ準備期間である、今後の数年を過ごしてほしい、と、まあ、こんな趣旨のメッセージを、わたくしは今までの卒業式では、毎回、発してきたつもりである。

当然、現状の分析が前提として不可欠であるが、それを多少の時事性 ー かれらにとって生々しい出来事、東日本大震災であれ、冬季や夏季の五輪であれ、あるいは、18歳選挙権であれ ― を鏤める形で行ってきた。その上で、地球は今や狭く、世界は文字通り一体化しつつある、つまり、ヒトもモノも情報も瞬時に世界を回っていると改めて注意を促して、したがって、日本は世界と対立するのではなく、その大事な一部なのだと強調してきたつもりである。そして、この世界をよりよくすることが、まあ、かれらに課せられたことなのであるけれども、そのことは決して大げさなことではなくて、実際、国内での日常的な業務も、その及ぶところが想像もつかない彼方であったり、後のことであったりするのだから、こういうことをしっかりと意識して、母校の「建学の趣旨」をこういう立場で再解釈してほしい、と、大体のところ、こんな趣旨の式辞を述べてきた。

念のために言えば、「グローバル」を文字通り「地球的」と捉えた上での話であって、確かに、卒業する諸君の時代は「グローバル」だが、それは英語ができなければいけないとか、海外で働かなければだめだ、というようなことではなくて、日常そのものが実は「地球的」広がりを伴っている、要するに、われわれが地球上で暮らしているという事実が、今や具体的な意味を持っているということに誠実かつ真剣に向かい合わなければならないということなのだと、こういう趣旨の注意である。

ここで、「地球的」と言っているのは、要するに、今や、情報処理技術の大容量化、高速化、高精度化によって、「(広義の)情報」の存在域が全地球的かつ半永久的であると想定した上で細かい議論をするのが正しいということになったということを指す。

従前は、種々の「(広義の)情報」の流れについて、かなりのものが、時空において、発信源に近接した場でのみ意義があった。そういう意味で、「(広義の)情報」の存在域と言えども、全地球的である、さらに、時間を考慮した時には半永久的である、と想定して扱わなければならないものは極めて限られていた、あるいは、ほとんどなかったとしてよかった。したがって、局所的な「情報」の処理で、多くの場合、特別な問題は生じなかったと考えてもよかったのである。

これに対し、「地球的」とすると、ある地点での現象の生起が、いずれ時間が経つと、それがいつであるか、また、どの程度であるかはわからないが、必ず最初の地点(のごく近傍)にも影響を及ぼすということを当然としなければならないであろう。しかし、このような現象のある種の再帰性の性質や制御についての知見は、現状では、ほとんどないと言えるかもしれない(数学的には、まさしく対応する力学系の古典的な議論があるが、それでは抽象度が高すぎる)。

そんなわけで、現象の効果が累積して暴発するというような場合だけでも排除できれば当面はよしとしなければならないかも知れない。そのような事例に、現在のところ、「気候変動」は入るのではないだろうか。人為的な活動から、仮にそれが局所的なものであっても、人間(だけでなく地球生命全体)の生存環境を左右するような効果が生じている例である。他にも、(251回記事で言及した)鈴木孝夫先生が注意されている「仮想水」もそのような例と考えられるだろうが、プロセスは非常に錯綜している。一般に、「資源」については、同種の「移転」の評価の問題があるだろう。今日では経済活動そのものが世界規模でなされるのが基本のようだし、それも一夜にして成り立ってきたシステムではないから、ある種のプロセスのままなのかも知れない。

要するに、ある地域に局限されたような活動であっても、その影響はその地域に留まらず、しかも、その地域外でのいろいろな効果を反映させた上で、時間が経てば、必ず、また、もとの地域に関わってくるのである。

わたくしが卒業生たちに発信しているメッセージは、こういうことを踏まえて、合理的な提案をせよ、皆さんの世界への貢献の責任は、そういうところにある、というような趣旨を、今まで籠めてきたつもりであり、ことしも基本的にそうするつもりである。そこで、トランプ氏のナイーヴな言動をどう処理するか、大いに戸惑っているわけで、多少とも氏の言動のゆえんを理解し、また、その政策の帰結 ― わたくしの個人的な予想としては、破綻を覚悟しなければならないという危惧がちらつくが ー と、卒業生の人生出発との関連などを読み取っておきたいと考えつつ、悩んでいるわけである。

「身構える」という言葉が適切かどうかはわからないが、そういう感覚を、冷静に、かつ、合理的に、卒業生諸君にどう伝えるか、そのための手がかりを得たいとして、うろうろしている昨今ということになろうか。

当然ながら、差しあたってのわたくしにとっては、トランプ氏が大統領に当選したというアメリカの背景事情よりも、氏の政策が及ぼすであろう(卒業生諸君に強い影響があるはずの短期的さらに中期的な)政治・経済・科学技術・軍事の国際的な動向予測に関心が強いのだが、それでも、すでに、トランプ氏の言動自体が、わたくしが勤務先の建学の趣旨と絡めて卒業式の式辞で毎回強調している「為他の気概」の精神と真逆なようなので、こういうトランプ氏の特異性を受容した現代のアメリカについても注意を払わなければならないと考えている。

そういう折りに、先日、天神のジュンク堂で

       特集 トランプ以後の世界 「現代思想」1月号(45-1.2017)

というのを見つけた。立ち読みには重そうだったので、購入し、通勤の途上で読んでいる。実際は、昨年の12月段階の記事の集積であって、大統領就任後の言動は当然反映されていないが、どの記事も(妙な言い方かもしれないが)真剣に書かれていて、それなりに迫力がある。

短編の論説の集積であるが、論述の傾向としては、トランプ氏の言動に寄り添うものはないと言える。印象としては、アメリカ社会との関係性の深い著者たちの記事は特に説得力があり、他方、世界というかアメリカとの関わりがやや希釈された感のある記事には、著者の思い入れが説明なしに強調されているものが多いように思う。記事の真摯度というべき点の判断基準として扱うのは変かもしれないが、アメリカ合衆国を、断りなしに、「合州国」あるいは「合洲国」と表現しているものについては(本当は編集の責任かもしれないが)その程度の読み方しかしなかった(できなかった)。

しかし、いずれにせよ、どの記事からも伝わってくるのは、共和党系のアメリカ人にはこんなにナイーヴな人たちが多いのかという慨嘆であり、それはかれらの事実認識の質の問題でもあるのだが、その評価の深浅には、著者それぞれの思想や立場が反映している。しかし、その一方で、このようなナイーヴな人たちに支えられて、さらに、かれらに輪を掛けてナイーヴな男が、世界でもっとも影響力があり、また、負うべき責任の重い地位に就いてしまったということの怖さについての踏み込みが全体としては不足しているように思われた。トランプ氏のナイーヴさの恐るべき効果は、やがて、我々を(繰り返し)直撃するはずであるが、それがどんな形のものであるか、そのことを的確に読み取れないのである。

なお、トランプ氏の言動は、わたくしが式辞などで強調している勤務先校の建学趣旨と矛盾するから、大いに困惑していると上で言ったが、中でも、事実認識の質、事実そのものと直面しようとしない、つまり、いわゆる post-truth とか alternative facts と称して、実際の姿が何であれ、おのれにとって心地よい見方以外は拒否し、あるいは自らの都合に合わせて粉飾して開き直るということも、わたくしが式辞類で強調してきた、事実を見抜け、自分の目で見て自分の頭で考えよ、事実と直面せよ、と言ってきたことと衝突する。いや、理想主義的なものは「事実」ではない、それこそ alternative facts の典型だということになるかもしれないが、もし、そういう語法が許されると考えられるとするなら、それは、そう考える人たちの facts とか truth の概念構成や解釈が粗雑なのである。

トランプ氏については、優れたビジネスマンとして政治の世界にビジネスの手法を入れようとしているのだ、という話も聞く。しかし、一体どのようなビジネスの世界で alternative facts がものをいうのだろうか。そもそもアメリカ人のビジネスでの成功は事実を直視するという習慣(が相対的に強いということ)に基づいているのではないだろうか。日本では、商売は信用が第一、というのが商人道の基本ではなかったか。してみると、トランプ氏の流儀は、いずれにしても、その対極にあるのではないか。

まさしく、トランプ大統領、遠い異国の田舎の学校の校長を悩ますの図である。





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